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釧路地方裁判所帯広支部 昭和43年(ワ)56号 判決

原告

宮井清一

ほか一名

被告

小原一二

ほか二名

主文

一、被告小原一二、同小原良助は連帯して、原告宮井清一に対し金四〇萬円を、原告宮井律子に対し金一五五萬二、〇〇〇円およびいずれも右各金員に対する昭和四三年三月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二、被告小原良助、同小原静雄は連帯して原告宮井清一に対し、金一三萬五、〇〇〇円およびこれに対する昭和四三年三月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三、原告宮井清一、同宮井律子の被告小原一二、同小原良助に対するその余の請求を、原告宮井清一の被告小原良助、同小原静雄に対するその余の請求をいずれもこれを棄却する。

四、訴訟費用はこれを七分し、その四を被告らの、その余を原告らの負担とする。

五、この判決は、第一、二項にかぎり仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

(昭和四三年(ワ)第五六号事件について)

原告清一、同律子は「被告一二、同良助は各自、原告清一に対し、金一一〇萬円、原告律子に対し、金四〇〇萬円および、右各金員に対する昭和四三年三月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、

被告一二、同良助はいずれも「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、

(昭和四三年(ワ)第五七号事件について)

原告清一は「被告良助、同静雄は、各自原告清一に対し、金二五萬五、〇〇〇円およびこれに対する昭和四三年三月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告良助、同静雄の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、

被告良助、同静雄は、いずれも「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告清一の負担とする。」との判決を求めた。

第二、原告の請求の原因

(昭和四三年(ワ)第五六号事件)

一、(事故の発生)

原告清一は、昭和四三年一月三日午後四時三〇分ころ、自己所有の普通貨物自動車(帯四ふ四三二二号、以下単に原告車と略称する)を運転し、その車の助手席に原告律子を同乗させて、国道二四一号線(舗装)を音更方面から帯広方面に向けて進行中、河東郡音更町字下音更九線東六号付近道路上において、原告車の後方から追尾して来た、被告静雄の運転する普通乗用自動車(帯五ひ〇二二六号、以下単に被告車と略称する)に追突され、(以下単に本件事故と称する)原告清一は、頸椎捻挫后後遺症を原告律子は頭部外傷による脳圧亢進症の各損害を蒙つた。

二、(被告の責任)

(一)  被告一二の責任

被告一二は、本件事故当時被告車を所有して、自己のため運行の用に供していた者であるから、被告車の保有者として、自動車損害賠償保障法第三条により、原告らの蒙つた後記損害を賠償すべき責任がある。

(二)  被告良助の責任

本件事件は、被告静雄の過失により惹起されたものであり、被告静雄は未成年者のため、同人の父親である被告良助が、昭和四三年一月四日原告らの入院していた帯広東大スガ外科病院を訪れ原告らに対し、被告一二、同静雄の損害賠償債務の一男を重畳的に引受けたものである。従つて、原告らの蒙つた後記損害を賠償すべき義務がある。

三、(損害)

右事故によつて、原告両名の蒙つた損害は次のとおりである。

(一)  原告清一の得べかりし利益の喪失による損害

原告清一は、大工六名トビ職二名を常備する建築請負業者であり、その年間収入は約一、〇〇〇萬円であるが、本件事故による傷害のため、昭和四三年三月迄は医師から静養を命ぜられたため、自己の業務に従事することができなかつた。しかして当地方において建設業者は毎年一月から三月にかけて当年度の注文を受け、注文主との打合せ、仕入れ品の選択打合せ等をなしてそれによつて一年間の仕事の趨勢を定めるのであるが、本件事故のため業務の執行はできず、満足な事業計画を立てることが出来ないでおり、それによる原告清一の蒙つた損害は計り知れないものがある。そこで右損失を考えると、建築業者の仕事は自己の代替人を使用することができるが、当地方での右代替者の雇用に要する費用は一ケ月につき金二〇萬円の報酬の支払を必要とするのであり、従つて原告清一は本件事故による三ケ月の執務停止があるので、その活動を回復する迄一ケ月金二〇萬円相当の財産的損害を蒙つたというべきであり、結局原告は、右得べかりし利益の喪失による損害として金六〇萬円を請求する。

(二)  原告清一の慰藉料

原告清一は、本件事故により、前記傷害を蒙り事故当日の昭和四三年一月三日から市内大スガ外科病院に入院して加療に努めたが病状は快復せず、医師からは静養を命ぜられたため自己の業務を執ることができない状況にあり、更に、右傷害のため、頭痛吐気、背部疼痛が続き、一向に右症状が癒らない状況にある。そのために日夜精神的苦悩を続けている。そこで、右のとおりの原告清一の蒙つた精神的苦痛を慰藉するには金五〇萬円が相当である。

(三)  原告律子の労働能力の低下による逸失利益の損害

原告律子は昭和二二年一一月一〇日生まれで、事故当時は満二〇才二ケ月のどこにも異常のない極めて頑健な身体を有した女性であり、昭和四一年三月に、私立帯広北高等学校を卒業し、同年四月横浜市所在の邦字タイプライター学校に入学、同年九月同校を卒業し、同四二年三月一六日から社団法人帯広自動車学園にタイピストとして勤務して現在に至つている者であるが、その収入は年間金二六萬八、七四四円であつた。ところが同人は本件事故による傷害のため事故当時は約三時間意識を消失し、意識回復後も頭痛並びに嘔吐を続け、脳神経を犯されたものの如く異常興奮を続けたため、到底従前の職場に復帰することが困難となり、仮に復帰が可能としてもその労働能力は従前の二分の一程度であろうと思料される。ところで、事故当時原告律子は満二〇才であつたから第一一回厚生省発表の平均余命表によると、その平均余命は四九・〇八年であることから、本件事故に遇わなければ満五〇才位までの三〇年間は優に稼動しえた筈である。そこで原告律子の事故当時のタイピストとしての一年間の収益金二六萬八、七四四円を三〇倍して、三〇年間の総収益は八〇六萬二、三二〇円となり、これをホフマン式計算により換算すると約金四八四萬五、二六六円となり、労働能力が二分の一に低下したことから右金額を二で除すると、金二四二萬二、六三三円となり、右金額が原告律子が労働能力が二分の一に低下して三〇年間稼動して得るであろう収益であり、これを本件事故によつて失つたということができる。そこで右金員の内金二〇〇萬円を請求する。

(四)  原告律子の慰藉料

原告律子は、本件事故前は非常に健康で、身体になんらの異常はなく結婚適令期の女性として快適な日常生活を送つていたが、本件事故のため頭部外傷から脳神経を犯され後遺症もあり、しかもその全治は今日の医学では困難な状況にあり、将来の結婚生活は望み得ない状態で、一生不快な思いを続けるの止むなきに至り、その精神的、肉体的苦痛は大なるものがある。そこで、右原告律子の苦痛を慰藉する金額として金三〇〇萬円が相当である。その内金二〇〇萬円を請求する。

四、(結論)

そこで、被告ら各自に対し、原告清一は、第三項(一)(二)の合計金額金一一〇萬円、原告律子は同項(三)(四)の合計金四〇〇萬円と右各金員に対するいずれも本訴状到達の翌日である昭和四三年三月二八日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(昭和四三年(ワ)第五七号事件)

一、(事故の発生)

原告清一は、本件事故(昭和四三年(ワ)第五六号事件請求原因第一項の事実)により原告車は大破するに至つた。

二、(被告良助、同静雄の責任)

(一)  被告静雄の責任

本件事故の発生は、被告静雄の一方的過失によつて惹起されたものである。すなわち、原告清一は、本件事故当日、その現場において、原告車を運転して音更方面から帯広方面に向けて進行中、自己の車の進行前方にバスが停車しているのを認めたので、右バスの後方約七〇メートル付近で減速措置をとり、更に約二〇メートル進行して、原告車の後方に他の自動車のないことを確かめたうえで、右側ウインカー(方向指示器)をあげて、徐々にハンドルを右に切り、更に二〇メートル程進行し、自車の前部が道路センターライン(中央線)に達したと思われた時、突然時速六二・三キロメートルの速度で進行して来た被告静雄運転の被告車に追突されたものであり、従つて本件事故は被告静雄が自動車運転者として守るべき制限速度を超過し、そのうえ前方注視義務に違反した結果発生した交通事故であるから、民法第七〇九条によりその責任は、一方的に右被告静雄が負うべきものである。

(二)  被告良助の責任

本件事故は被告静雄の過失に基づくものであり、従つて原告清一は、被告静雄に対し、後記損害賠償債権を有しているところ、被告良助は、昭和四三年一月四日原告清一に対し、被告静雄(被告静雄は、原告良助の三男で、昭和二三年八月五日生まれである)の過失を陳謝すると共に、右被告静雄の債務について、重畳的債務引受をなしたものである。

三、(損害)

本件事故によつて、原告車は大破し、そのために蒙つた損害は次のとおりである。

(イ)  原告車の事故による減価格 金七萬五、〇〇〇円

(ロ)  原告車の使用不能による損害金一八萬円

原告車は本件事故のため大破し、その修理に要した期間は約三〇日間であり、右修理期間中、原告車の使用不能により一日金六、〇〇〇円の割合による損失を受けた。

四、(結論)

そこで、原告清一は、被告静雄、同良助の各自に対し、金二五萬五、〇〇〇円およびこれに対する本訴状到達の翌日である昭和四三年三月二五日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、被告らの請求原因に対する認否

(昭和四三年(ワ)第五六号事件について)

一、請求原因第一項の事実中、原告らの傷害の点は不知であるが、その余の事実は認める。

二、同第二項の(一)の事実は認め、同項(二)の事実は否認する。

三、同第三項の(一)の事実は争う。

原告清一は、昭和四三年二月一〇日まで大須賀外科病院で加療し、完全に治癒しているので、その財産的損害算定の根拠はない。

同項(二)の事実は争う。

原告清一は、大須賀外科病院で治癒し、昭和四三年二月一〇日で完治しているので精神的損害はないというべきである。

同項(三)の事実は争う。

原告律子は大須賀外科病院で加療し、更に厚生病院で治癒した結果、昭和四三年三月一一日に後遺症もなく治癒しており、従つて、同人の蒙つた財産的損害は理由がない。

同項(四)の事実は争う。

原告律子は治療の結果後遺症もなく治癒しているから、精神的損害はないというべきである。

(昭和四三年(ワ)第五七号事件について)

一、請求原因第一項の事実中、事故の発生は認め、その余の事実は争う。

二、同第二項の(一)の事実中、原告車の進行前方にバスが停車していた事実、被告車が原告車に追突した事実は認め、その余の事実は否認する。

同項(二)の事実は否認する。

三、同第三項の事実はいずれも不知。

第四、被告らの過失相殺の抗弁

(一)  本件事故発生は、原告清一の過失によるものが大半である。すなわち、本件事故当時原告清一は、自己の進行前方に停車中のバスを認めて、これを追越そうとしたのであり、かかる場合自動車運転者としては、直進状態から右側に方向を変更しなければならないのであるから進路変更三〇メートル前から方向変更のウインカーを点滅させ更に後部より既に追越しをする自動車の有無を確かめる義務があるにもかかわらず、漫然と後方の確認を怠りウインカーもあげずに進行し、突然右側に一メートル程寄つたため、原告車の後から、それを追越そうとした被告車の前部に原告車の後部を衝突させたものであり、それは、原告清一の右のような過失によるものである。

(二)  原告律子は、本件事故発生当時、原告車に同乗しており、原告清一の右の過失に対してなんらの注意を与えることなく、又なんらの事故防止の措置をとらなかつたのであり、原告清一同様本件事故発生につき過失があるというべきである。

第五、原告の抗弁に対する認否

抗弁事実はいずれも否認する。

第六、証拠関係〔略〕

理由

一、(事故の発生)

本件事故発生の事実は、原告清一、同律子の各損害の点を除き、当事者間に争いがなく、〔証拠略〕(いずれも診断書)によれば、本件事故によつて、原告清一は、頸部捻挫后後遺症を、原告律子は、頭部外傷の各傷害を負つた事実を認めることができる。

二、(被告らの責任)

(一)  被告一二の責任

被告一二が本件被告車を所有して自己のため運行の用に供していた者であることは当事者間に争いがないから、自動車損害賠償保障法第三条により、原告らの蒙つた後記損害を賠償すべき責任がある。

(二)  被告静雄の責任

(1)  〔証拠略〕によれば、本件事故発生の原因は次のとおりであつたことが認められ、他に右認定を覆すにたりる証拠はない。すなわち、

(イ) 本件事故現場は、河東郡音更町字下音更九線東六号付近の国道二四一号線の道路上で、当時右道路は舗装され、その巾員は八メートルであつたが、雪と寒さのため道巾は約一メートル程狭められ、更にその表面は氷状(アイスバーン)の状態になつていて、非常に滑り易い状況にあつたが、天候は晴れていて、現場は直線道路で前方の見透しは良い所であつたこと、

(ロ) 本件事故の発生した現場は、国道二四一号線の道路を、原告車が、音更方面から帯広方面に向つて進行中、原告清一は原告車の一〇〇メートル程前方にバスの停留所があり、そこにバスが一台停車中であるのを認め、そのバスを追越そうとしてバスの四〇メートル程手前で時速一〇キロメートル位に徐行し、道路中央線側に寄つたところ、前方から対向車の来るのを認めたため、右バスの追越を断念して、右バスの後方に一時停車すべく原告車の速度を緩め、ハンドルを左右に切ることなくそのままの進行状況でブレーキを二度程踏んでバスの後方二〇メートル付近に達した時に、原告車の後方から進行して来た被告車に追突されそのため原告車はバスの後方に追突したこと、

(ハ) 被告静雄は、本件事故当日、訴外鳥居洋子らを同乗させて被告車を運転し、本件事故現場付近において、被告車は約一五〇メートル前方にバスが一台停車しているのを認め、更に、被告車と右バスの間に原告清一が被告車の前方約一〇〇メートル先を同一方向に進行しているのを認め時速五〇キロメートルから時速四〇キロメートルに減速して進行し、被告車と原告車との距離が約三〇メートル位になつた時、そのままの速度で被告車は追越しのウインカー(方向指示器)をあげて、後方の車に合図をして進行方向の右側に寄つて原告車の追越しをしようとした際原告車が右に寄り、それを認めた被告車が停車しようとしたが路面が凍つて氷状(アイスバーン)の状態だつたため、停車することができず、原告車の後部に追突するに至つたこと、

(ニ) 被告静雄に関する刑事被告事件において、原告清一の運転する原告車が、バスを追越そうとして道路の中央線右側に寄つた際ウインカーを点燈したか否かが争点の一つとなつているように見受けられ、右の点について原告清一は、「ウインカーは点燈しており、被告静雄がこの点を否定するだろう」という趣旨の供述をなし、他方被告静雄は、「被告車を運転して原告車を追越そうとした際、原告車はウインカーもストツプランプも点燈していなかつた」旨を供述していること、しかし本件事故の態様から考えると、一応原告清一の供述が信用できるものであること、

(ホ) 本件事故の発生する前に被告静雄は原告車の前方にバスが停車しているのを認めており、普通一般の自動車運転者としては、本件事情のもとでは原告車が停車中のバスを追越すであろうことを、原告車に後続して進行する自動車運転者たる被告静雄としては当然予測すべきであり、更に当然予測できたであろう状況がうかがえること、

(2)  以上認定の事実によると、本件事故の発生は、被告静雄の過失に基づくものと認めるのが相当であり、被告らが主張する本件事故発生前に原告車が前車を追越すためのウインカーを点燈することなく適正な運転方法を欠いたとの点は前掲各証拠に照らし、これを認めることはできない。そうすると、被告静雄は原告両名に対し、本件事故の発生に関して、民法第七〇九条による不法行為責任を有するというべきである。

(三)  被告良助の責任

〔証拠略〕によると、本件事故当日の昭和四三年一月三日に、原告両名は事故に遇つて傷害を負つたため、帯広市の大スガ外科病院一三号室に入院したこと、被告良助は、被告一二、同静雄の父親であり、被告一二は同静雄の実兄であるが右事故の翌日、被告三名は、原告らの病状を見舞のため病院を訪れ、被告良助は、原告両名に対し、原告らの病院代等について、責任を持つ旨を告げて被告静雄の原告らに対する行為につき、謝罪し、更に被告良助、同一二は、原告らに対し「すいません、こちらが責任を持ちます」「私の方で責任をもつてしますので、直して下さい」という趣旨のことを伝えたこと、その時の被告らの態度は、原告らと同室の患者には、隨分と話のわかる人達だと感心させる程であつたこと、を認めることができる。

右認定の事実によると、被告良助は、原告らに対して被告静雄の行為によつて原告に加えた損害につき、その債務の引受をなしたと認めるのが相当であり、これに対し被告良助らは、原告の病院代についてのみ責任を負う旨を述べたと主張し、それに副う被告ら各本人尋問の結果があるけれども被告らの身分関係および被告の病院における態度等右認定の事実と対比すると、たやすく、被告らの供述を信用することはできない。

そうすると、被告良助は、被告一二、同静雄の父親として、同人らの原告に対して負担する本件事故による損害賠償債務について、その債務引受をなしたというべきである。

三、(損害)

(一)  原告清一の得べかりし利益の喪失による損害

(1)  〔証拠略〕によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、

(イ) 原告清一は、宮井建設の名称で大工を八名位使用して現住所で建築業を営んでおり、その仕事は、原告清一が一人で指図をして、建築請負の註文下請工事の請負等一切の業務を取り仕切つており、一般に建築請負業者の一ケ年の仕事の計画は一月か二月にかけての冬期に受注を受けて契約の締結、職人の手配等の準備をし春の三月中ころから仕事を始める段取りであるため、毎年一、二月の受注によつて仕事量が決定されること。

(ロ) 原告清一の収入についてみるに、同人が事業主として、労働者を使用し、そのために必要とされる労働基準局作成の労働災害補償保険の保険料算定基礎調査書によると、原告清一の昭和四一年四月一日(現実の仕事を始めたのは同年五月三日から)から同四二年三月三一日までの一年間の事業主としての請負金額は金三〇八萬一、三五〇円であり、同年四月一日から同四三年(甲第一一号証には同四二年の記載があるが誤記と認める)三月三一日までの右同様の請負金額は金七二一萬六、〇〇〇円、同四三年四月七日から同年九月三〇日までの請負代金の額は金一、一二七萬五、三二〇円(ただし、甲第一二号証の一、二の原告清一本人の帯広労働基準局長に対する事業実態報告書による)となつていること、

(ハ) 十勝地方における建築請負業について、事業経営上の必要経費は総収入中の三割を占め、その利益率は六パーセントと推定でき年間金一、〇〇〇萬円から金二、〇〇〇萬円程度の事業を経営するのに、その事業主に代つて右事業の経営一切を委せる人を使用するには、その報酬は一ケ月金一五萬円程度の支払が必要であり、単に事業の会計帳簿の管理を委せる場合には一ケ月金八萬円程度の報酬支払が普通の状態であり、原告清一の経営する宮井建設は、年間金一、〇〇〇萬円から金二、〇〇〇萬円程度の事業を行う請負業者であること、更に原告清一程度の事業規模の建築請負業者の事業主が仮に年度始めの一月から三月までの事業準備期間を病気等の理由で休んだ場合、その年間の収入は三分の一程度の減収を余儀なくされるであろうこと、昭和四一年から、同四二年、同四三年にかけて、十勝地方における建築請負業者の収入は五割増程度の増加の傾向を見せていること、

(ニ) 原告清一は、本件事故による受傷のため入院生活を余儀なくされ、その期間中は、仕事の指図をする人もないため全く出来ない状況であつたが、特に友人の訴外荒木某に頼んで、仕事の相談をしてもらい、同人に対し、金五萬円の謝礼金を支払つたこと、原告清一自身は、本件事故による収入の減少がいくらかあつたと感じていること、

(ホ) 原告は、本件事故のため一ケ月間入院加療を要する傷害を受け、事故当日の昭和四三年一月三日から同月二五日までは帯広市内の大スガ外科病院に入院し、同日は、右病院の火事のため退院を余儀なくされ、その後は医師の往診を受けたり通院加療を続け、その状態が同年二月まで続き、右の病状が快復して外出できるようになつたのは、同年四月ころからであること、

(2)  右認定の事実によると、原告清一は、本件事故のため傷害を受けて、約二ケ月程度の仕事の出来ない状態にあり、その間の収入減による得べかりし利益の喪失の損害は、金二〇萬円と認めるのが相当である。

(二)  原告清一の慰藉料

〔証拠略〕によると、原告清一は、本件事故のため、前認定のとおりの傷害を受け、そのため、本件事故当日である昭和四三年一月三日から同月二五日まで市内大スガ外科病院で鞭打ち症の診断のもとに、入院治療し、同日同病院の火事という不慮の事故のため退院し、同年二月一〇日までは同病院に通院し、その後は同年四月五日ごろまで帯広市の厚生病院に通院をして治療を加え、同病院では「頸椎捻挫後遺症」の診断を受け、現在に至るも週二回のマツサージや光線治療を続け、昭和四四年二月一〇日には頸部や腕、腰部に痛みを訴え、現在も天候不順の折には頭痛を訴えることがある等、その精神的、肉体的苦痛を受けた事実を認めることができ、他に右認定を覆すにたりる証拠はない。そうすると、右事実および本件に関する諸般の事情を考慮すると原告清一の蒙つた精神的、肉体的苦痛を慰藉する金額としては、金二〇萬円が相当である。

(三)  原告律子の得べかりし利益の喪失による損害

(1)  〔証拠略〕によると、次の事実を認めることができる。すなわち、

(イ) 原告律子は、昭和二二年一一月一〇日に出生し、本件事故当時は満二〇才二ケ月で、本件事故に遇う前は健康な女子であり、昭和四一年三月に帯広北高等学校を卒業し、その後横浜市の邦字タイプの学校に入学してタイピストの資格を得て、昭和四二年三月一六日に訴外社団法人帯広自動車学園(通称帯広自動車専門学校)にタイピスト兼事務員として勤務し、事故前の昭和四二年三月一六日から同年一二月三一日までに支給された給料、手当は次表のとおりであり、その月額の平均は金一萬七、〇〇〇円程度であつたが、本件事故のため健康に自信をなくし、疲労激しく勤務に堪えられないとの理由で、結局休職の状態から昭和四三年四月一八日からは勤務についていないため、現在は退職となつていること、

〈省略〉

そこで、右表を参考にして、原告律子の一年間の収入を考えると、右表の金額に、一ケ月金一萬七、〇〇〇円の給料の二・五ケ月分として、金四萬二、五〇〇円を加算し、結局、金二六萬三、〇〇〇円(計算上正確には金二六萬三、二五八円となるが一〇〇円以下切捨てる)の収入を得ていたものと認めることができること、

(ロ) 原告律子は、本件事故に遇つて失神し、直ちに病院に運びこまれ、事故後約五時間程の意識消失の後にそこで意識を取り戻し、事故当日の昭和四三年一月三日から、入院していた病院が火事となつて余儀なく退院するに至つた同月二五日まで、病院生活を続け、その後一〇日間位は自宅で医師の往診による治療を受け、同年二月二日には更に帯広市内の帯広厚生病院において、そこで「頭部外傷による脳圧亢進のため、向後約二ケ月の入院加療を要する」との診断を受けて、同年二月中は入院生活を送り、その後同年六月まで通院して治療を続けたが、治療の効果はあがらず、日常生活では不安感不快感を感じ、身体の調子は不順で、疲労感が強く、長時間の座つた姿勢を保つことができず、昭和四三年の一一月には横浜市の病院で診断を受け、左上肢にシビレ感のある知覚異常を認めてその治療をなし昭和四四年二月一七日からは、帯広市の柴田整形外科医院で約一ケ月間治療をして、「頸椎捻挫後遺症」の診断を受けるに至つたこと、

(ハ) 原告律子は本件事故前は病気をしたこともなく健康な女性であつたが、事故後は、根気がなくなり、結婚する迄勤めるつもりであつた事故前に勤務していた自動車学校の事務の仕事も健康状態に自信を喪くして退職し、その後将来の自立のため、フラワー・デザインの職も結局健康に対する自信喪失のため持続することができない状態にあること、同人は右自動車学校に結婚する迄は勤めるつもりでいたが、本件事故のため退職を余儀なくされたこと、現在結婚の話があるが、未だ確定的とならないため家で家事手伝をしていること、

(ニ) 原告律子は、本件事故後、直ちに帯広市の大スガ外科病院に入院して治療をし、同病院の医師の診断では入院時には、頭痛と嘔吐する前の症状であるはき気を催し、病状は非常に軽く、昭和四三年六月には治癒の診断を受けて勤めに出ることを勧められたこと(ただし、右医師の診断結果は、被告静雄についての本件事故に関する刑事被告事件における証言である)しかしながら、右病院での治療の後でも原告律子自身は不安感、不快感を訴えて健康に自信を喪い他の病院で診察を受けて、治療を続けて、現在に至るも本件事故による受傷との愁訴を抱いていること、

(2)  右認定の事実によると、原告律子は本件事故による受傷のため、当時の勤務先であつた帯広自動車専門学校の退職を余儀なくされ、それ迄得ていた収入を失つたこと、同人は右自動車学校には結婚する迄の間勤務する意図をもつており、現在結婚の話があるが、未だ確定的となつていないが、北海道における女子の結婚する年令は、二〇才から二四才迄が全体の結婚適令期の女性の六割を占めており、その後、二〇才未満と二五才以上のいわゆる早婚化と晩婚化の傾向が増加して来ている状勢にあること(北海道編昭和四二年度版道民生活白書一四ページ以下参照)特に本件事故による原告律子の労働力が低下し、今後労働稼働年数の三〇年もの間従来の労働力の二分の一程度の労働しかできないと認めるにたりる証拠はないが、その後の医師の診断治療があることから現在まで原告律子の訴える健康に対する不安感、日常生活での不快感等のいわゆる愁訴が、単に原告律子本人の個人的被害感情にのみ起因するものとはにわかに断定できないこと、

(3)  そうすると、原告律子については、事故に遇つてから結婚する迄の四年間分の得べかりし利益を喪失し、右同額の損害を蒙つたと認めるのが相当であり、労働力の低下による損害を認めるまでもないというべきである。そこで、右に従つて、原告律子の損害を算定すると、金一〇五萬二、〇〇〇円と認めるのが相当である。

(四)  原告律子の慰藉料

〔証拠略〕によると、原告律子は、本件事故当日の昭和四三年一月三日に、本件事故のため、一時気を失い原告清一と同じく、大スガ外科病院に入院して正気に戻る状態であり、そのまま入院生活を続けたが同月二五日に病院の火事のため退院を余儀なくされるに至り、その後は自宅で医師の往診を受けて治療し、一週間後には更に厚生病院に通院し、同年六月ころまで治療を続けたこと、その後横浜市に赴き、昭和四三年一一月から同市の小関病院で治療を受け、一ケ月間は毎日通院し、その後は隔日に通院して治療し、現在も、長時間座ると背中に鈍痛を感じ、天候不順の時には身体の不調を訴える状況にあることを認めることができる。右認定の事実、およびその他本件に関する諸事情を考慮すると、原告律子は本件事故のため、精神的、肉体的苦痛を蒙つたということができ、同女の右苦痛を慰藉する金額としては、金五〇萬円が相当である。

四、(原告車に関する損害)

(一)  原告清一について、原告車の損害

〔証拠略〕によると、原告車は、本件事故のため大破したこと、更に本件事故のため、金七萬五、〇〇〇円の事故減価格の査定を受け、原告清一は本件事故により同額の損害を蒙つた事実を認めることができる。

(二)  原告清一について、原告車の使用不能による損害

(イ)  〔証拠略〕によると、次の事実を認めることができる。すなわち、原告清一は原告車のトラツクを自分の仕事のために使用していたが、本件事故によつて原告車は大破したため使用不能となり、その修理に一ケ月間を要し(修理の期間は、原告清一が退院した後で、事故直後は破損の程度がひどい為に修理をさせないでおいた)その期間は原告清一が自動車使用の必要が生じた際には営業車を使い、更に材料等の運搬には、友人の車を借用したこと、そのため、日常の仕事ではかなりの不便を感じたこと、レンタカーの使用料金は、次表のとおりであること、

〈省略〉

長期使用料金表

〈省略〉

(ロ)  右の事実によれば、原告清一は原告車の修理に要した期間原告車の使用ができなかつたことにより損害を受けた旨主張するが、約三ケ月間の病院での治療期間中に修理は充分に出来たことからすると、むしろ、原告車の使用不能による損害は、原告清一の営業ができないために蒙つた損害の中に含ませて考えることによつて充分ともいえる。しかし、現実に原告清一が病院退院後原告車の修理の完了を待ち、その間営業車や友人の車を使用したことからすると、右出費は、本件事故による損害ということができ、右損害額は、本件においては金六萬円をもつて相当というべきである。

五、(被告らの過失相殺の抗弁)

被告ら主張の過失相殺の抗弁については、前認定のとおり、本件事故の発生は、被告静雄の過失によるもので、原告清一については、本件については特に考慮する必要はないというべきである。更に原告律子についても、原告車の運転者たる原告清一と同乗していたからといつて、原告清一の運転に対して注意すべき義務があるということはできないから、被告らの主張は、いずれも採用に値しない。

六、(結論)

そうすると、被告一二、同良助は、原告清一に対して、前示第三項の(一)(二)の各金額合計金四〇萬円、同律子に対しては同項(三)(四)の合計金一五五萬二、〇〇〇円およびこれに対する本訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四三年三月二八日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金と、被告良助、同静雄が原告清一に対して、前示第四項(一)(二)の合計金一三萬五、〇〇〇円およびこれに対する本訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四三年三月二五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度において、いずれも理由があるのでこれを認容することとし、その余の請求はいずれもこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条、第九三条、仮執行の宣言について、同法第一九六条第一項を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小野寺規夫)

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